遊ぶことを忘れた「地球人」
「遊ぶ」と聞いて何をイメージしますか?
子供の頃は「遊ぶ」ことが最大の目的だったように感じます。
でも、いつしか「遊ぶ」ためには「〜をしなければならない」
遊ぶ前に勉強、遊ぶ前に仕事をしてお金を稼ぐ。
楽な人生を生きるために、今は嫌なことをしてお金を稼いで将来に備えてる人達。
遊ぶ前には〇〇をしなければならないという思い込みを持った人が、どれだけ多いことでしょうか?
そういえば地球ではずっと、遊ぶというだけで、蔑まれてきた気がします。
遊ぶことには、常にネガティブの影がつきまとっていた気がします。
子供が遊ぶのはいいけど、大人が遊ぶのはダメ的なことがあった気がします。
働かざる者喰うべからず……
蟻とキリギリス……
人生楽ありゃ苦もあるさ……
誰が言い始めたのでしょうか?
いつしかこのような言葉が一人歩きして、美徳とすら考えている人が増え、そうでない人を責めたり、そんなんじゃ幸せになれない。とか。
そして如何に遊びを我慢して勉強して努力して偉くなった人の自伝……
遊ぶためには、苦労して努力しないといけないと思い込んでしまった、地球人。
でも、みんなほんとは遊びたいんですよね。
自分の一番やりたい、好きなことして遊びたいんです!
まるで無垢な子供のように。
ただシンプルに
僕たちはその為には生まれた来たのではないでしょうか?
地球はディズニーランドようなものだと僕は考えます。
この星では、制限があったり、物事が成就するまで時間が掛かったり、先が見えない怖さを感じながら、未来へ希望の思いを馳せたり、泣いたり、笑ったり、傷付いたり、愛されたり、愛したり、、、。
そんなアトラクションだらけの世界です。
そんな世界だと知っていて、ディズニーランドへ行く前日のようにワクワクしてこの世界へやってきた。
夢と魔法の王国へ。
並んだ先のアトラクションで何が起こるかを想像し、ワクワクして、乗ったら、ドキドキしたり、悲鳴をあげたり、笑ったり、泣いたりしながら、アトラクションを楽しむ。
そしてまた次のアトラクションを目指して行く。
色々なアトラクションを楽しみながら、何が一番自分が好きなのかを知って行く。
経験すれば経験するほど、自分なりのディズニーランドの楽しみ方が見つかる。
人生ってこれと全く同じだと僕は思います。
分からないから楽しみだし、ドキドキ、ワクワクするのではないでしょうか?
最初から全て知っいて何が楽しいのでしょうか?
想像してみて下さい。
お化け屋敷に入って、次に起こる全てのアクションを事前に誰かに教えてもらいながら進むのは楽しいでしょうか?
僕はそんなお節介な奴がいたら、すぐにその場を離れます。
知らないから、想像力を働かして楽しめるのが神が人間に与えたギフトではないしょうか?
想像を超えた結果が待っているから、人生は筋書きのないドラマと言われるのではないでしょうか?
自分が想像できるものの中から、一番ワクワクすることを選んできて、それを実際にすることができるのなら、それはどんなにか楽しいことでしょう。
どんなにワクワクすることでしょう。
そういう自分を想像するだけで僕はワクワクしてきます。
どう生きたって今の人生は1度きりです。
少し遊び心を持って、人生をディズニーランドだと思って、楽しんでみる心のゆとりを持つと、見えてくる世界が変わります。
僕らはこの地球に遊びに来た。
本当の自分はそれを知っています。
ありがとうございます。
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