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こんにちは(^^)
ヨンソです!
皆さん、現実ってなんでしょうね⁈
辞書を調べると以下のように書かれてます。
いま目の前に事実として現れている事柄や状態。
「夢と現実」「現実を直視する」「現実に起きてしまった事故」
反対言葉は理想。
事実ね〜、、、、、
事実ってなんでしょうね⁉︎
結論から言って現実とは幻想です。
現実とは一人一人の認識に他なりません。
「理想ばっかり見ないで、現実を見なさい!」
「現実はそんなに甘くないよ、、、」
ってそれはあなたの世界の話ですよね?
と僕はいつも思いますし、言われた場合はそのようにお答えします(笑)
現実や事実って捉え方次第で人の数だけ幾万通りにあるように思います。
起きてる現象も見方によっては解釈が全く異なります。
例えば、炎天下で若い子が一生懸命働いてる人がいたとしましょう。
現象や見えてる姿は同じでも感じ方が全く違うのです。
「こんな暑い中働かせるなんて大丈夫なの?」
「倒れたらどうするのか?」
「馬鹿だな〜、もっと楽に稼げる方法あるのに」
「若いのにがんばってるな〜」
「俺も昔はガムシャラに汗水垂らしてがんばってたよなぁ〜」
このように人の心の中は覗けませんが、感じ方が様々なのはお分かり頂けるかと。
目の前に起きた現象に対する捉え方、感じ方は本当に千差万別なんです。
起きてる現象に意味は無く、僕たちが勝手に意味付けをして、解釈して認識を深めているのです。
この世界は事実で成り立ってるのではなく認識で成り立っているというのが僕の考え方です。
目の前にあるものをどのように認識するかは、育った環境や過去の経験により異なります。
例えばカラスと聞くと、「なんか黒いし、カラスが鳴くと人が死ぬとかいうし、縁起が悪いんじゃない?」と感じる人が多いかもしれません。
一方では、本当は元々縁起の良い、神の使いと言われる鳥だと思ってる方もいます。
同じカラスを見ても見た目は同じでも感じ方が、認識が全く異なるのです。
このような認識のズレは沢山あります。
地域によっても違うし国によっても文化によっても異なります。
信仰なんて典型だと僕は思ってます。
僕たちは、様々な教育を受けて、この世界の認識をどんどん深めているのです。
生まれた頃は何の認識もありません。
本能的に認識するものもありますが、基本的には後天的に認識するものがほとんどです。
まずは親から様々な認識をインストールします。
次に学校や社会。
良い、悪いの基準も様々な方法で学びます。
大人になるにつれ個の認識よりも集団の認識を重視し出します。
例えばコロナは現在、集団的な認識は危険といった側面が強く出ています。
気にしない、別になんとも思ってない。という方も実は一定数います。
しかし今は、不安に感じる認識が勝ってるので、後者の場合は無神経と捉えられます。
これが逆転すると後者の意見が集団の認識となり、前者の意見がおかしな論調に聞こえます。
常識や目に見えないルールはこのように構築されるのではないでしょうか?
常識やルールはその時々でコロコロ変わります。
人間は社会という集団生活の中で、集団の認識を取り込もうとする意識が強いようです。
仲間外れや村八分にされたり、変人扱いされるのを嫌います。
目の前にリンゴがあるのを認識出来るのは、視覚情報と認識情報が一致して初めてリンゴと認識が出来ます。
視覚情報が無ければ、何も見えないので認識は出来ません。
また、リンゴという情報認識が無ければ、目の前にリンゴがあっても???となり、ただの赤い物体となるのです。
誰かがリンゴを手にして食べて、その情報を人に伝えて、そこに名前を付けて、それが広く認識されてリンゴがこの世に生まれます。
リンゴは元々あったのに、人に認識されたことで初めてこの世に存在することになるのです。
コロナウィルスも見えないので、認識情報が入らない限り知る由もありませんでした。
ニュースなどで知ることで目に見えなくても認識するのです。
認識することで存在することになります。
そのニュースがネガティブな情報だと、ネガティブな情報として認識して、それにより感情や反応が生まれて行動へ繋がります。
今の状況はまさにネガティブな認識が自粛という行動に人を駆り立てます。
その反対の行動をする人は叩かれます。
その認識が目には見えませんが、世論というルールになっているのです。
マスコミの報道は本当に恐ろしいと改めて感じています。
マスコミが世論を形成して、目に見えないルールーを作ります。
話は戻りますが、この世界の現実や事実は人の認識が作っているのです。
時代ごとに認識による事実は異なります。
これは物理学の世界でも実証されてます。
いわゆる観測です。
人の観測=認識が無から有を生み出します。
ある意味自由自在です。
量子論についてはこの本おススメですよ。
いつの時代も情報は権力者が自分達の都合の良いように操作しています。
大衆はそれを信じて生きているのです。
情報洗脳ですね。
情報は権力者の特権だったのです。
しかしテクノロジーの進化は、その特権を切り崩し始めてます。
これからの時代は、認識は与えられものではなく、自分で創っていく時代です。
今までは知らず知らずの内に認識を与えてられて、それに沿って生きていたのです。
認識は自分で創れるのです。
自由自在にカスタマイズ出来ます。
そのために大切なのは本物の情報を掴み取る感性。
感性こそが自分にとって必要な本物の情報を取捨するフィルターになります。
次に大切なのは環境設定です。
人は無意識に見てるもの、聴いてる音に反応して、認識を深めます。
環境も自由に選べる時代です。
その為にも感性を磨くことがとても大切です。
誰もあなたの道を教えてくれません。
自分で道を創る時代です。
道を示すコンパスは自分の中にあります。
ナナちゃんの新刊が5月5日の子どもの日に発売されます!
ディスカッション
コメント一覧
>rikaさん
ありがとうございます!
いつも、ためになるお話をありがとうございます。
逆転するお話は、横山卓先生も語られていました。
https://www.youtube.com/watch?v=T25ZHX3gs-8